恋とはどんなものかしら。
会話の途中でふと湧いたような言葉。
幼い少女のような無邪気な問いは、ほんの少しの甘さを含んで僕に投げかけられた。
僕は数度瞬きをして、にこやかに笑うエリーゼを見つめ返す。

「ジュードは知ってるんですよね。恋って、どんなものですか?」

春の野に咲く花のように可憐に笑う少女が、まだ子供だと思っていた少女が、けれど良く考えたら自分より高々三つ年下なだけの彼女が、そんな。
頻繁に会えるわけでもないけれど、妹のように大事にしているエリーゼの口から飛び出した言葉に僕は体を硬くする。
エリーゼも、今年で17歳だ。恋の一つや二つ、したって別におかしいことじゃない。
自分の初恋は、と思い出してみても今のエリーゼより数年は前だった。
初恋は実らないなんていうけれど、僕の場合はその恋が今でも続いている。
暫く会っていない恋人の顔と、当時の嵐のような心中を思い出してカッと顔に熱が集まる。
もう付き合い始めて暫くたつのに、今でもこんな風に心が乱れるなんて情けない。
答えを待っているエリーゼの瞳と視線をあわせ辛くて、僕はこほん、と小さく咳をするフリをした。

「どうしたの、急に。学校で好きな子でもできたの?」

なんでもない風を装って、カップの縁を指でなぞる。
座する王は去れども、夜光都市として栄えたイル・ファンでも指折りのカフェのそれは意匠も凝っている。
妙に緊張して指先に力が篭って、まさか割ったりはしないだろうけど傷がついてしまうかもしれない。
不恰好に切りそろえられた爪が陶器にふれてカチカチ鳴るのが、エリーゼの耳に届かなければいい。

「なっ、違います!!!……もうっ、質問してるのは私なのに」

妙にムキになって否定する様子が、年頃の少女らしくて愛らしい。
成人した男としては情けなさ過ぎる胸中を悟られずに済んでほっとした、というのもあるだろう。
頬の筋肉が緩んで自然、笑顔になる。

「ごめん。からかったわけじゃないんだけど……じゃぁ、気になる子がいるとか?」
「だからっ……違うって言ってるのにっ!ジュードのいじわる!レイアに言いつけちゃいますからねっ」

薔薇色の頬をぷく、と膨らませてエリーゼが睨みつけてくる。
ちっとも迫力がない、けれどレイアに告げ口されたのではたまらない。
興奮して椅子から立ち上がったエリーゼを宥めて、まだ手のつけられていない自分のケーキを勧めた。
いちごクリームがふんだんに使われたミルクレープの上には、シロップのかかった艶々のフルーツ。
いちご、ブルーベリー、バレンジ、キウイ。
宝石のようなそれらは、甘いものが大好きな女の子の目にどう映るかなんて分かりきった事だ。
これ一つで機嫌を直してくれるといいのだけれど。
ちら、と視線をやればエリーゼの目がぎらぎらと光っている。
葛藤しているのか、唇を引き結んでから息を吐く。
数秒の沈黙の後、小さなうめき声が一つ。

「ぅ……仕方ないから、許してあげます」

すとん、と椅子に腰を下ろしたエリーゼはケーキ皿をひったくってフォークを構えた。
ちんまりとした、見た目もサイズもかわいらしいケーキが皿から消失するまで大した時間はかからない。
しかし曲がりなりにも六家であるシャール家に養子に入ったエリーゼは、テーブルマナーも一から叩き込まれたのだろう。
早食い、なんて下品な言い方に当てはまらない見事な食べっぷりだった。
唇の端についたクリームをきちんとナプキンで拭ってから、エリーゼがごちそうさま、と一言告げる。

「お気に召して頂けましたようで光栄です、お姫様」

くすくすと笑って、手で弄んでいたカップを手に取った。
少しぬるくなってしまった紅茶は、それでも美味しかった。

「なんかその言い方、アルヴィンみたいです」
「ぶっ……!」

さっきまで考えていた相手の名前が唐突に出て、それを指摘されたみたいで飲みかけの紅茶が気管に詰まった。
咽奥を突きぬける生ぬるい温度と、アールグレイの風味に一層むせる。

「ジュード、お行儀悪いですよ」
「けほっ、ぅ……ごめ……」

自分でも大げさすぎるくらいに驚いてしまって恥ずかしいのに、エリーゼが困ったようにハンカチを差し出してきたので更にいたたまれない気持ちになる。
綺麗に折りたたまれたレースのハンカチを口元に当てて咳を殺そうと努めたけれど、なかなか収まってくれない。

「はぁ……名前出しただけなのに、そんなに反応しなくたっていいじゃないですか」

こんこんと鳴らして咽がひりついた頃になってようやく咳が治まった。

「まぁいいですけどね。ジュードは何年たっても初々しくて可愛らしいアルヴィンの恋人さんなんですもの」

からかうような言い方は、明らかにさっきの僕へのお返しだろう。
ここでまた大きく反応すると余計にからかわれるに決まってる。
けど、聞き流すにしたって随分な言い方だ。

「な、なにそれ」

苦しさで涙目になった目元をなるべく見られないように俯いたのに、お見通しですとばかりにくすくす笑うエリーゼの声が耳を擽る。

「今日届いたアルヴィンからの手紙に書いてあったんですよ。”俺のジュードくんは何年たっても初々しくて可愛いから、俺と離れてる間誰かに盗られないか心配だ”って」

僕のところにも手紙は届いている、けどそんな恥ずかしい内容の手紙を他人に宛てているなんて。

「嘘……」
「ほんとです。アルヴィンの手紙なんて、聞いてもないのにジュードのことばっかり書いてますよ。」
「うわああぁぁ」

顔から火が出るとは正にこのことだ。
ハンカチごと手のひらで顔を覆って隠して、それでもたまらず頭を左右に振った。

「今日も夕方から久しぶりに会うんでしょう?お付き合いしていても滅多に会えないなんて大人って大変ですね」
「そんな事まで書いてるの!?」

今日この後の予定まで事細かに知られているということは、それは全部アルヴィンが教えたという事だ。
別に知られて悪いことではないけれど、恥ずかしさが許容範囲を超えて怒っている時みたいな声が出る。

「自慢したいんですよ、きっと。それか今日ジュードと二人でお茶するって前の手紙に書いたから、私に嫉妬してるのかも」

まさか、そんな筈は。と言いたかったけれど、時折妙に子供っぽい所のあるアルヴィンの事だから否定の言葉は口に出来なかった。
どう返したものか、と口をまごつかせているとエリーゼが鈴を転がしたように笑う。

「二人が幸せそうで良かった」

さながらそれは、女神の祝福だった。
年齢がひとまわり以上離れていて、同性同士の恋人だ。障害は多い。
それでも、こうして祝福してくれる人がいるから辛いだなんて思ったことは無い。
さっきとは違う意味で、単純に嬉しくて顔が熱くなる。
ちょと泣きそうなくらい、嬉しい言葉だった。

「あのね、ジュード。さっきの話に戻りますけど」

旅をしていた頃よりもずっと大人になったエリーゼは、僕の反応なんてお構いなしに言葉を続けた。

「恋ってどんなものかしら、って思うんです。だって、ジュードもアルヴィンもお互いのことを考えているだけで楽しそうなんですもの」

カップの中身はもうほとんど空だ。
これが今日最後の話題になるのだろう。
僕は顔を上げて、エリーゼと目を合わせた。

「私もいつかそんな幸せな恋をしたいなぁ、って」

 恋とはどんなものかしら。
歌うようなエリーゼの問いの答えを、僕はぼんやりと考える。
恋。特定の相手に思いを寄せること、特別だと思うこと。
エリーゼが思うように、ただ楽しくて、素敵で綺麗なものばかりじゃない。
答えを探して思考をめぐらせて、それでもやっぱり僕の恋の行き着く先なんて。

早くアルヴィンに会いたいな。
探した先の答えは、とてもシンプルだった。




+++++



 イル・ファンの僕の家に、アルヴィンは”ただいま”と言って訪れる。
僕はいつだってそれが嬉しくて、”お帰りなさい”と返す。
仕事であっちこっち飛び回っているアルヴィンは各地に拠点を設けてはいるけれど、この場所を帰るべき家だと思ってくれているらしい。
自然、笑顔になって、アルヴィンは不思議そうに首を傾げている。

「なんでもないよ」

今日はひどく気分が良い。
恋人と久しぶりに過ごす夜に、まさか悪いはずもないけれど。
僕らしくないな、なんて自覚をしながら爪先立ちのキスを一つ。
お帰りなさい、そして、愛してる、のキス。
恥ずかしくて目を閉じたけれど、アルヴィンはきっと目を丸くして驚いているだろう。
ふふ、と笑った口元の隙間をアルヴィンの舌がなぞってくる。
自分のそれを積極的に絡ませれば、ぴちゃぴちゃと音が鳴った。
酸素が行き届かなくて苦しいくらい、長い間キスをして、先に折れたのはどっちだったろう。
丁寧にベッドメイクをしたのが、バレないといいのだけれど。
強い力で腕を引かれながら、僕は小さく息を零した。


 触れる瞬間の温度差は、お互い驚いて息を呑むほどだった。
僕はアルヴィンの背が粟立つ様な冷たさに、アルヴィンは指先が溶けるような僕の熱に。
それが僕達二人の境界を明瞭にしているようで、妙に緊張してしまう。
びくりと肩が跳ねた後、つい二人して静止してしまうのも仕方なかった。
だって、こうしてアルヴィンと肌を合わせるのは随分と久しぶりだ。
心拍数がどんどん上がっていくのをごまかすために、最後に会ったのはいつだっけ、なんて半ばどうでもいいようなことを考える。
 今は暦上では冬とはいえ大分春めいて温かい平気な程だけど、最後に会った日はまだコートが必要なほど寒かった。
借り宿の暖炉は年を取ったせいかやる気が無いようで、部屋の中なのに何か喋る度に白い息が出る。
それがなんだか可笑しくて、押し付けあうように冷たい足先をすり合わせて暖めあった。
 最後に会った日を思い出すと、連動して一緒に過ごした夜のことを思い出す。
熱っぽい雰囲気でベッドにいるくせに、妙に気恥ずかしくなって僕はぎゅう、と目を瞑った。
ただでさえ汗をかくほど熱かったのに、熱は引く様子も無かった。
もう子供ではないのだし、今更恥ずかしがるようなことじゃない。
むしろ自分から誘いかけるようにしておきながら、生娘みたいに恥ずかしがっている事の方がよっぽど恥ずかしいだろう。
だけど息が触れるほど近いアルヴィンからは、僕とは違う匂いがして、僕とは違う温度で、それを意識すると堪らなくて、呼吸が辛くなる。
洗ったばかりの清潔な洗濯物の匂いと、嗅ぎなれた香水のラストノート。
呼吸と一緒に吸い込んだアルヴィンの匂いに、頭がくらくらする。

「ジュード」

変な間に焦れたのか、窘めるようにアルヴィンが僕を呼ぶ。
冷たい指先とは反対にアルヴィンの声は熱っぽく、重たい。
驚いて目を開けると、鳶色の瞳と視線が絡んだ。

「何、余計なこと考えてんの」

冷たい手が両頬に添えられたかと思ったら、急に距離が近づく。
額と額がこつん、と合わさる。
鼻先が触れて、顔が近い。
鏡が無いから分からないけど、きっと今僕の顔は真っ赤だろう。
明かりを落としておいて良かった。
でなければアルヴィンが散々からかってきたに違いない。

「余計なこと、じゃ、ないよ」

アルヴィンの手が腹の下を擽るように触れている。

「アルヴィンの事、考えてる」

焦らすように触れていた手が、ゆっくりと下に降りていく。
冷たい手を温めるためにそうしていたのかもしれないけれど、僕はじくじくと傷が膿むような熱を早くどうにかして欲しかった。
早く、と言う代わりに唇を食むようなキスをするとアルヴィンがくつくつ咽で笑う。

「そりゃぁ、嬉しいね。今日はいやに積極的だし」
「……嫌ならもう、次はしないけど」

ふい、と顔を背けるとアルヴィンの指が追いかけて来る。

「次も是非」

ジュード、好きだよ、愛してる。
甘やかな響きが耳朶を擽って、むずがゆいのに、きもちいい。
アルヴィンも同じように感じてくれていたらいい、そう思って手を伸ばした。
 恋ってどんなものかしら。
ふわふわとした思考の中で霞がかる、エリーゼの笑顔。
薄暗い部屋で、ぴたりと隙間なくくっついた体をまさぐって僕らはその答えを探してる。
くっついた肌と肌同士から伝わるお互いの熱が溶け合って、一つの別の生き物になってしまいそうだ。

「ねぇ」

全力で走った後みたいに鼓動が煩くて、息が上がる。
掠れた声で、アルヴィンを呼んだ。
アルヴィンは返事の変わりに腰骨をぐいぐいと押し合わせて、僕の頬に唇で触れた。
半端に開いた口から零れる、息なのか、言葉になりかけたうめき声なのか分からない喘ぎに高揚して汗が出る。

「恋って、どんなものだろうね」

僕が君に、君が僕に寄せる思いは、恋は、どうやったら伝えられるのか。
適切な言葉を捜して、けれど結局見つからなかった。
そんな、表しようも無い夢のような心地に体を浸して、それをアルヴィンに問うた。
冷たかったアルヴィンの体は、すっかり僕と同じくらい熱い。

「さぁ?」

曖昧な答えがあまりにも短い。
汗でふやけた指先が、僕の手を掴む。
力の抜けた僕の手を、自分の左胸に導いてアルヴィンは笑う。

「ここを探せば、分かるかもな」

 もう全部お前のもんだから、開いて探して、どんなものか見てみれば良い。


 恋とはどんなものか。
開けて拓いて、中に詰まった想い全部。
喜びも苦悩も、共にある中から、本当の自分をみつけて。



もっと深くへ、堕ちていけばいい。










WEBアンソロジー企画「狼少年と恋愛中!」参加作品
お題【俺をみつけて】
ED後一緒に住んでるアルジュ。
恋とはどんなものかしら?
ジュードにとっての恋はアルヴィンという存在そのもので、答えを探す内にいっそう深みにはまってしまうのよ。