お弁当の話









ぐしゃぐしゃに折れたプリント、教材、まだ封の開いていない袋に入ったままの雑誌、お菓子の空き袋。
仮にも教員の机なのだから、ここまで作業効率が悪い環境であることに対して本人は気にしないのだろうか。
職員室の机と違い、教科担当が使う準備室はそうそう他の目に晒されることがない。
それをいいことに私物を持ち込み、すっかり自分の城にしてしまったアルヴィンに文句をつける人間は今のところ居ないらしい。
とはいえ、本来なら禁止されているはずの準備室の立ち入りを許可してもらった上、昼食をとるスペースを借りている身なので僕も一々そんなことを咎めない。
ほんの少し力を加えたら崩れてきそうなバベルの塔を寄せ、ランチョンマットの上に広げた弁当をつつく。
口の中に放りこんだブロッコリーをごりごりとすりつぶす。
良く噛んで食べるという習慣が体に染み付いてしまっているので、僕は食事を終えるまでの時間が人よりも長い。
なので、今日も先に食事を終えてしまったアルヴィンは紙パックの牛乳をじゅるじゅると行儀悪啜りながら僕が食べ終えるのを待っている。
待たせている、という自覚があるものの僕の食べるペースは変わらない。
ストローの端をがりがりと噛んでつぶす癖を咎めようか悩んでいたら、ふいに目が合った。
その瞬間だけが、妙に長く感じられた。
気のせい、だけど。

「それ、ちょうだい」

答えを待つつもりもはなからないのだろう。
言うが早いか弁当箱から海苔を巻いた卵焼きが消えた。
別段悪びれた様子もなく、それをそのまま口に入れてしまったアルヴィンをぼんやりと見つめた。
ほんの一口のそれを租借するまでをじぃ、と見ている間、彼は僕からわざと視線を外している。
たかが卵焼きひとつで怒ったりはしないけれど、それよりももっと気になることがある。

「うん、美味いな」

きっと、アルヴィンは僕が怒るなり、文句を言うなりすると思ったんだろう。
へら、と笑った顔は多分、そういった言葉を封じるためのあざとい策だ。

「前に甘いほうが好きだって言ってなかったっけ?」

そんな笑顔をかわいい、好きだな、なんて思ってしまっている自分に気付いて鼓動が速くなる。
誤魔化すように讃辞を厭味で返してみたけど、そんな小さな言葉くらいで揺らぐアルヴィンじゃなかった。

「海苔巻くならだし巻きだろ。別にお世辞で言ったわけじゃないぞ、ホントに美味かったの」

教師だからか、もともとの性格なのかは僕にも分からなかったけれど、アルヴィンはどうにも、褒めて人の能力を伸ばすのが上手い。
嘘か本当か建前か、なんてほとんど区別がつかないくらいだ。
だから本当か建前か分からない褒め言葉を素直に受け取るのが、たまらなく恥ずかしい。
そんな心情を悟られやしないかヒヤヒヤしている、そんな自分が嫌だ。

指の汚れをくたびれた白衣で拭い、可愛くもないのにウィンクを投げて寄越す。
いい年の大人がするような仕草じゃないのに、アルヴィンがやるならなんとなく許してしまえる。

「優等生はなにやらせても優秀だもんなぁ。弁当だって、毎日自分で作ってるんだろ?」

「…うん。あ、でも言うほど手間かかるもの入れてないよ」

「ふーん」

部活のせいで朝も早い、作ろうと思ってもなかなか難しい。
だからメインのおかずなんかは週末にまとめて作って冷凍している。
朝はそれをレンジで温めなおして作るだけ。
クラスの女子だって多分同じようにしているだろう、別に珍しくもなんともない。
栄養も偏りなく、色味もいい彼女たちのそれに比べたら僕の作ったお弁当なんていまいち質素だしワンパターンになり気味だ。

そんなものの、一体何が珍しいのか。

(手作り弁当が食べたい、っていえば作ってくれそうな女子生徒なんていっぱいいるのに)

「卵焼き以外もいまそうだな」

アルヴィンの無遠慮な視線が食べかけの弁当に注がれる。
獲物を狙う鳶の両目がぎらぎらと光った。
いたたまれなくて手で覆えば、かさかさに乾いた大きな手が上に重ねられる。

「なんで隠すの」

眉を顰めて言うアルヴィンが、小さな子供みたいに見える。

僕の方が悪いことをしているような、そんな気分になるから不思議だ。

「何で見るの」

「ジュード君が隠すからでショ」

こんな風に唇を尖らせて女子高生みたいな語尾で喋る教師は嫌だ。
ちょっとときめいてしまった自分はもっと嫌だ。

「あ、ちょっ、……もうっ、馬鹿力!」

「よっしゃ!もーらい」

「僕のお昼ごはんなのに…」

「ジュード君、箸!」

遠慮する気は全く無いらしい。
結局弁当箱ごと中身を奪い取られてしまった。
こうなったらもう返してくれないだろう。僕は大人しく箸を差し出して、代わりにアルヴィンの白衣の胸ポケットから突き出ているポッキーの袋から中身を二本抜き取った。
つぶつぶの、苺味だ。アルヴィンは常にどこかしらに苺味のお菓子を隠し持っていて、よっぽど好きなんだなぁと重いながらいつもそれを僕がつまんでいる。
自分の分の昼食を食べ終えて、それでもおなかがすくのならお菓子でも食べていればいいのに。
口に出してはいないが、僕の表情から読み取ったのだろう。
アルヴィンは食べ盛りの少年のような笑顔で、
「お前が作ったから、食べたくなるんだよ」
なんて言って、僕の作ったハンバーグを頬張った。
どちらかと怒っていたはずなのに、そのたった一言で気分が180度変わってしまう。
なんて単純なんだろう、って自分でも思う。
それでも明日は甘い卵焼きを焼いて、もう一人分お弁当を作ってこようかなんて考えている自分がいた。
なんでこんなダメな大人が好きなんだろう。
噛み砕いたポッキーは甘すぎて、僕は思わずため息を吐いた。