子供と大人
ローエンが部屋に戻ると、入り口から見て背を向ける形でアルヴィンがベッドの上に腰掛けていた。 ノックをしても、部屋に入ってもだんまりだ。 ベッドの上で不機嫌そうに胡坐をかいているアルヴィンの表情は、単に不機嫌というよりも悪戯を窘められた子供のそれだった。 悪いと分かっているのに、ひっこみのつかなくなった悪童は謝罪のタイミングをすっかり見逃して不貞腐れている。 普段は無駄に大人ぶっているくせに、その育ちすぎた図体に反比例して中身はとんとお子様だ。 若い、というよりは幼い。 そんな不器用さが、あまりにも目についてローエンは重苦しい息を吐き出した。 ふい、とアルヴィンがほんの一瞬視線を寄越してすぐ戻す。 瞳の色がうっすらと影を帯びていて、どこか寂しげだった。 それに気づかないローエンではなかったが、子供を甘やかすばかりでは良くない事も知っている。 パーティー内の年長者としてすべき事は、若い彼らに道を示す事。 教育して叱ってやるのは、大人の役目だ。 丁寧に手入れのされた顎鬚を撫で擦り、ローエンは背をぴしりと正した。 「アルヴィンさん」 戦場において指揮を執る"コンダクター"の声は良く通る。 思わず丸めた背を正してしまうような、力のある声だ。 例えそれが安宿の狭い一室であろうとなかろうと、この声はアルヴィンに届いただろう。 「何だよ」 返事は、そっけない。 先ほどとは違い、振り返るそぶりすら見せない。 意図的にそうしているのが分かって、ローエンの目にはより幼く見えた。 コツコツとわざと音を立てて距離を縮めると、同時に空気も圧縮されたように感じる。 「貴方はちゃんと分かっているはずですよ」 「だから、何」 潔く距離を縮めたローエンは、アルヴィンの隣に我が物顔で腰掛けた。 男二人の体重を受けてベッドのスプリングがきし、と小さく悲鳴を上げた。 「アルヴィンさん、そこにお直りなさい」 枯れ木のような指がアルヴィンの鼻先に突きつけられ、素知らぬフリをしていたアルヴィンもその勢いに思わずたじろぐ。 子供は何時だって、大人の説教が苦手なものだ。 「男子たるものこうあるべき、などという古臭い思想を押し付けるつもりはありません。それにしたって貴方、先ほどの態度はあまりにもジュードさんに失礼でしょう」 女子供に優しく紳士然としたローエンの信条であったが、若者同士のあれこれにたいしてその場で口を挟むのも野暮というものだ。 食堂ではあえて黙っていたが、本当ならその場で説教しても良いと思う程度にはローエンも怒っていた。 居心地悪そうに頭を掻くアルヴィンは、ローエンの視線から逃げるように俯いている。 「別に、ちょっとからかっただけだろ。皆分かってんだろうが」 「ええ、分かっていますとも。貴方が好きな女性を苛めて遊んで気を引くタイプだというくらい、皆さん嫌と言うほど知っていますよ」 怒っていても尚笑顔のままローエンがさらりと言い放った言葉に、大げさに体を揺らしたアルヴィンは声を大きくして反論した。 「だっ、れが……あんな発育不良のガキを女として見るかよ!」 「おやおや、ミラさんに慰められているジュードさんを見て捨てられた子犬のような目をしていたのは誰でしたっけねぇ」 涙で曇った黄昏色の瞳に映っていたのは、アルヴィンではなくミラだった。 その涙を拭ったのも、赤味が差した頬を撫でたのも。 人に似せた形の、人では有り得ないほどのうつくしさの、精霊の王。 自分ではない。 まぼろしの様にうつくしい男と、性別のあやふやなまだ成長しきらない少女が並ぶと一枚の絵のように様になった。 「知るか!!」 思い出すだけで、心がざわつく。 八つ当たりのように枕に拳を殴りつけたが、アルヴィンの心が落ち着くことはなかった。 この苛立ちが何なのか、本当は知っている。 醜い、嫉妬。 身を守るようにして体を堅くしたアルヴィンに、ローエンはそっと語りかけた。 「本当は簡単なことなんですよ、とても」 何も難しく考えることはない、老紳士はそう続けた。 「優しくされたいのなら、優しくすれば良い。愛し愛されたいと願うなら、まずはその心ときちんと向き合うことです」 年を重ねた老年の仲間の口調は穏やかで、アルヴィンの耳にじわじわと染み入った。 「好きな女性の気を引きたくて苛めるだなんて、今日日幼年学校のおちびさんだってしませんよ」 茶目っ気を含ませた瞳のウィンクが飛んできて、アルヴィンは毒気を抜かれたように肩の力を抜いた。 どうあっても、口では勝てそうにない。 「貴方だって、言いすぎたと思ったからそんなに傷ついているのでしょう? ならまずは彼女に謝り行くことです」 せめて勝負に負けないためには、アルヴィンはさっさと逃げるべきだったのだ。 降参、と手を振ったアルヴィンはこれみよがしにため息を吐いてみせる。 「……分かったよ」 隣でにこにこと笑っているローエンが癪に障って、アルヴィンはすくりと立ち上がった。 板張りの床を逃げるように足早に歩いて、ドアノブを乱暴に引き回す。 アルヴィンはドアの前で一度立ち止まり、けれど振り向かず部屋を出て行った。 単純に性別だけで分けられた宿の部屋は、男性陣が使っているものと作りも変わらないはずなのにどこか敷居が高い。 特にアルヴィンにとっては、そう何度も訪れる機会がなかったためにノックですら躊躇いを覚えるほどだ。 おまけにレイアとエリーゼに酷く罵倒された直後である。 それが自業自得だとアルヴィンも分かってはいるが、そう何度も自ら針の筵に座るようなマネはしたくない。 部屋の前で右往左往している時間はさして長くもなかったが、意を決してドアノブに手をかけたのとほぼ同時に内側からドアが開いた。 「あ」 どちらの漏らした声だっただろう。 僅かに開いた隙間越しに視線が合った。 「あ、の……なんか気配、したから。アルヴィン……何か用事あった?」 小首をかしげたジュードの頬に絹のような黒髪がはらりとかかった。 濡れた様な色の艶やかさにドキリとする。 真直ぐに見上げてくるジュードを、直視できない。 「や、あの……なんつか」 たった一言謝って帰ればいいだけの話だ。 一度言葉に詰まってしまうと、それすらも上手く出てこない。 「ええと……とりあえず、立ち話もなんだから入ってよ」 「ああ……」 招かれるまま部屋に入るべきか一瞬迷ったものの、流されるようにドアを開いた。 一歩、部屋に入ってそこでようやく気づく。 女性の部屋を無遠慮に眺め回すものでもない、と横目にジュードに視線をやってようやく、だ。 「ジュード……お前、服、どしたの。それ」 アルヴィンが呼ぶ声に振り返って、くるりと燕尾が翻る。 普段なら見えないはずの色がちらりと見えたのは、決して気のせいではないはずだ。 綺麗にくぼんだ膝の裏が目に焼きつく。 「えっ、変……かな、やっぱり」 正面に立ったジュードの姿をつま先からてっぺんまで、呆けたように眺めまわすアルヴィンの口はだらしなく開いたままだ。 視線から逃げるように身を捩るジュードの眦にはうっすらと水の膜が浮いている。 朱をさしたように赤い頬と相まって、普段はボーイッシュなイメージの強いジュードを一層少女めいて見せている。 表情や仕草もそうだが、何より燕尾状に開いた上着の下からのぞく白いレースのスカート。そこから伸びる健康的な脚が酷く眩しかった。 欲を言えば、太ももを隠すスパッツは余計だったが。 「……似合う、かわいい」 うわごとのように出た賛辞は、極々ありふれたもので味も素っ気もあったものではない。 飾り立てた言葉でなく、単純に思った言葉がそのまま口に出ただけだ。 上辺だけ褒めへつらう事に慣れきった男にしては、お粗末過ぎる感想。 それでも他人からの賛辞に慣れていない15歳の少女にとっては、十分すぎる程のものだ。 ぱち、ぱち、と目をしばたいた後、驚いた顔がゆっくりと花開くような笑顔に変わる。 「あり、がとう」 た、たん。小さなブーツのつま先が床を蹴る。 その行為自体には何の意味もない、ただの照れ隠しだ。 それに気づいてしまったら、より一層少女が可愛らしく見えてくる。 無意識に手を伸ばしかけて、気づく。 誰も抱き寄せようと伸ばした手を、止める人間がいないのだ。 「ジュード……レイアとエリーゼはいないのか?」 「うん。ちょっと前にミラが来て、三人で外のお店に甘味食べに行くって言って連れ立って出て行ったよ」 どうにも、都合の良すぎる話だ。 アルヴィンの脳裏に、夕食時に見せたミラの不敵な笑みがよぎった。 「出かける前は僕を着せ替え人形代わりにして遊んでたんだけどね」 困ったように笑うジュードは、けれどどこか楽しそうだった。 スカートの裾を摘んで、淑女のように礼をとってみせる。 「スカートなんて絶対似合わないって言ったのに、三人がかりで無理やり着せようとするんだもの。でもアルヴィンが褒めてくれたから、ちょっとは自身持てたかも」 嬉しそうに笑うジュードをよそに、アルヴィンの表情はぴしりと固まる。 「……ちょっと待て、三人? レイアと、エリーゼと、ティポで三人か?」 油を差し忘れた機械のようにぎこちない動きと口調に、ジュードは首を傾げる。 しばし考えてから。 「ああ、そっか。ティポ入れたら四人だね」 アルヴィンの目の前で丁寧に指折り四つ数えて見せる。 「レイアと、エリーゼと、ティポと、ミラ」 無邪気な笑顔に、眩暈さえ覚えた。 先ほど伸ばしかけて止めた手で、今度はしっかりとジュードを掴む。 拳を武器とする武道家の割には、細い腕だ。 まだ成長しきらない、15歳の少女の腕だ。 「ミラの前で、着替えたのか?そのかわいい服、みせびらかして」 「そ、そんなワケないでしょ!そんなはしたない……」 もじもじと脚をすり合わせて恥ずかしがるジュードの言葉に嘘はないだろう。 上手に嘘がつけるほど擦れてもいなければ、大人でもない。 腕の中で縮こまっている小さな子供は、抵抗のそぶりすらみせないのだ。 大人の男にこうやって腕に抱かれることの意味を、ジュードは知っているのだろうか。 「選んだのはミラだけど、これだって、」 「ミラが選んだから、着たのか」 意識せず、腕に力が篭った。 アルヴィンの腕の力の強さに驚いてジュードの肩が跳ねた。 「ちがっ、なんでそんなに怒ってるのさ」 「怒ってねぇよ、イラついてるだけ」 だんだんと大きくなっていく声量に二人は気づかない。 「一緒じゃないか!!なんでって、聞いてるのに……アルヴィン!!」 何故と問う少女の声は涙混じりで、悲痛だ。 そのことが、余計にアルヴィンを苛立たせた。 ぎりぎりと奥歯を噛み締める力を、本当なら腕に篭めたかったのに。 「っるせぇな!!好きな女が他の男に選んでもらった服着てはしゃいでりゃ誰だってイラつくだろ普通!!」 鼓膜がびりびりと痺れるほどの怒声が、まさか告白だとは思わないだろう。 息ひとつ分の間、時が止まったように感じた。 アルヴィンの言葉が意味を伴ってジュードの耳に入るまではさらに時間を要しただろう。 同じ時間の分、アルヴィンも自分の口から転がり出てしまった言葉に思考を停止させていたのだが。 「あ」 どちらの漏らした声だった声だっただろう。 あるいは両方か。 デジャヴュを感じるよりも、お互いの体温が熱くて。 瞳に灯った熱を知ってしまったから。 目を逸らせなくなってしまって、どうしようと考えあぐねているのはどちらも同じ。 鼓動の音が早すぎて耳鳴りのようだと、まるで他人事のように思う。 ジュードのくちびるが震えて、微かな音がほろりと零れた。 確かに紡いだ言葉はあまりにも儚く、あっけなく別の音にかき消されてしまう。 コン、コン、コン、礼儀正しいノックは警鐘のように部屋に響いた。 弾かれたように振り返った二人を、石榴色の双眸が見つめている。 扇形の、縁まで黄金を刷いた様な長い睫が瞬きと同時に揺れた。 「ドア、開いてるぞ。廊下の向こう側まで声が筒抜けだ」 風精霊の力で結われた髪の一束が、声の調子と同じく楽しげに揺れた。 金色の目映い美丈夫は、顔を真っ赤に染めて俯く少女に微笑みかける。 「良かったな、ジュード。せっかくアルヴィンが喜びそうな服を選んだのだから、今日一日はそれを着ているといい」 言ってから、同じく顔を赤くしながらも怒りに震えている男に一瞥を投げてわざとらしくため息を吐いた。 コツコツと床を踏み鳴らしながらアルヴィンに歩み寄ると、ジュードには聞こえないように耳元で小さく囁く。 お前が大事にしないのなら、わたしが浚ってしまうよ 冗談とも、本気とも取れるような口調だった。 秀麗な顔が歪めば、それだけで凶器になりえるという事を知る人間は少ない。 すぐすり替わった笑顔が、まぼろしのようだ。 作り物のような笑顔だけを残して、気まぐれな猫のようにドアを抜けて部屋を出て行ったミラの背を二人の目が追う。 その姿が消えても、尚。 奪われてしまう。そんな焦りがアルヴィンの胸を急き立てる。 言わなくては、今でなければ駄目だ。 鮮烈過ぎる金色に奪われないように。 舌に乗せれば陳腐で裏も表もない、ただそれだけの、言葉だ。 子供だって知っているような、単純な。 好きだ、愛している、と。 そんな、愛の言葉。 |